中国について、一区切り

今年(2025年)は中国という国、特に中国共産党と中国の「愛国者」について、心の底から失望した一年だった。

今までもボヤキや文句は書いてきたし、親しい人にも言ってきたが、もう今は心が折れて砕けて灰になった感覚だ。
今、私の心には怒りも悲しみもなく、ただ静かである。
今の中国は私にとっては単なる「分析の対象」でしかなくなってしまった。

以下、自分の気持ちを書いておく。
中国についてのありのままの感情をここで書くのは、おそらくこれが最後になるだろう。書くことで、自分の中で一区切りを付けたい。

近年の中国を見ていて強く思うのは、中国共産党と中国の「愛国者」にはもう金と力しか誇る物がないのではないか、ということだ。

本来は誇るべき歴史も伝統も文化もあり、近年は映画、ゲームやアニメなど新たなソフトパワーも伸びている。そこに住む人々も優しい。
このように中国は本来素晴らしい国だったはずで、わざわざ「俺たちはすごいんだぞ」と力まなくても中国は日本と世界に充分認められている。

それなのに中国共産党と中国の「愛国者」にはそれが見えていない。
金と力を崇拝し、他者もそうだろうと考えて、自国民や他国を金と力で押さえつけようとする。

実にもったいない話であり、同時に寂しさを感じる。

自分を他人にどう見せたいか、他人からどう見られたいかについてはやたら気にするのに、実際に他人からどう見られているかについてはほとんど考えない。

この30年、中国と中国人と関わってきて、中国の歴史にも伝統にも文化にも憧れを抱いてきたし、中国社会の理不尽さについて我が事として怒ってきたし悲しんできた。
だが、近年の中国を見ていると、怒りや悲しみよりも、まず寂しさが先に立つ。
そんなに力まなくてもいいのに、そんなに生き急がなくてもいいのに、何をそんなに焦っているのだろうと思う。
本当にもったいない。

 

かつて私は中国に骨を埋めようとした人間である。
だがさまざまなことがあり、中国社会に失望して帰国した。
今後もよほどのことがない限り、中国に渡航することはないだろう。少なくとも習近平政権が続く限りは行かない。

これが、今の私にできる唯一の抗議だから。

(もっとも、日本社会にも同様な理由で失望しており、その結果、都会の片隅で半ば世捨て人のような生活をしているのだが)